━カジノの歴史(ニュージャージー州)━ 

 ニュージャージー州における最初の合法カジノオープンは今から約25年前の1978年の5月まで遡ることが出来ます。

 そもそも合法カジノ解禁の動きは州法改正を目指した1974年に始まります。改正法では州政府により所有・運営されるカジノであればニュージャージ州のいかなる場所でも、その地域の住民の賛同を得られれば、設置を可能とするものでした。しかし州法改正案は州民投票の結果、否決されます。その理由として、州政府によるカジノ所有・運営とニュージャージー州全土でのカジノ解禁に反発した州民が挙げられるでしょう。

 その後も、カジノ合法化に積極的に取り組んだのがアトランティックシティーでした。約2年間の地道な努力が実を結び、1976年、2回目の住民投票により、カジノ合法化は見事実現。そこからアトランティックシティーとカジノの歴史はその1歩を踏み出すのです。

 当時の州民投票では、州規制のもとアトランティックシティーに私営カジノを許可するものでした。加えて、カジノから州政府に収められる全ての税金を高齢者、身体障害者に対し恩恵あるものにする事も盛り込まれました。ニュジャージー州政府はこの法案を カジノコントロール法と名付け、1977年より発効します。

 ニュージャージー州にとって、「カジノ」の位置づけを理解する重要な手がかりはカジノコントロール法のステイトメントの中にあります。まずステイトメントでは州を支える重要な産業として観光、リゾート、コンベンションを挙げています。カジノ合法化は アトランティックシティーにとっての都市再開発手段とし、延いては、 観光、コンベンション客増大に繋がり、さらなるニュージャージー州の発展を促すものであるされているのです。
 つまり、カジノ合法化は観光都市を目指すアトランティックシティーの再開発の「目玉」だったのです。

 現在、ニュージャージー州では12のカジノが運営され、ネバダ州に次ぐゲーミング収益を上げるほどに成長しています。 ネバダ州・プエルトリコ・イギリスのシステムを参考に、最も厳しいカジノ規制法を作り上げたといわれるニュージャージー州。その厳しすさゆえ、厳格さを保ちながらも過去に幾度と無く規制緩和がおこなわれているほどです。
 しかしながら、ニュージャージー州の規制システムは現在、世界中のカジノ合法化を目指す、国・地域に踏襲され続けています。

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