━代替効果 その4━

 カジノ建設による代替効果に関しては多くの研究がなされていますが、その中にはここで紹介した問題に対して正面から疑問を投げかける様なものもあります。今回はそういった代替効果に対する反論をご紹介してみましょう。

 その1で紹介したアトランティックシティのカジノが地元産業に与えた負の影響に関して、「アトランティックシティのボードウォークの繁栄の裏には、ダウンタウンエリアのスラム街が隠されている」という事実は以前ご紹介した通りです。しかし、これに対して「本当にアトランティックシティ、ダウンタウンエリアのスラム化はカジノによるものなのか?」という疑問を持つ専門家も多く存在します。

 そもそもアトランティックシティがカジノ合法化を決定したのは1960年代から始まったアトランティックシティ全体の景気減退のためです。1950年代に人気を誇ったマリンリゾート、アトランティックシティも、1960年代に入って次々と周辺に生まれる新たなリゾート地の勢いに押されていました。特にこの時期、ディズニーランドという一大テーマパークを抱えるマリンリゾート、フロリダの成長は目を見張るものがあり、アトランティックシティはその勢いに押され東海岸No.1のリゾートの地位を急速に失っていきました。実際に、当時のデータを上げてみると、カジノ合法化直前の1960年から1970年にかけて、

アトランティックシティの人口 20%減
市内のホテル客室数 40%減
市内の雇用総数 17%減
市内小売店の総売上高 12.4%減

出典; Atlantic CIty and Casino Gaming, 1995, Harrah's Entertainment Inc.

 という散々な結果が出ています。同時に、州から社会保障を受ける人の数が27%増加するなど、街のスラム化は1976年のカジノ合法化以前にすでに始まっていたという事実が浮き彫りになってきます。これには、アトランティックシティ元市長であるJames Whelan氏も言及しており「何十年とアトランティックシティで続いてきた諸処の問題をカジノが一夜のうちに解決してしまう事はありえない」と、アトランティックシティが長年の間抱えてきた問題の責任をカジノのみに負わせてしまう事に反意を示しています。

 逆に、アトランティックシティのカジノ合法化後の人口移推を見ると、合法化以前の1960年から1970年にかけて都市人口20%減であったのが、

1970年〜1980年 16%減
1980年〜1990年 5%減

出典;Atlantic CIty and Casino Gaming, 1995, Harrah's Entertainment Inc.

 と急速に改善しています。このデータに基づくと、カジノ合法化はむしろアトランティックシティからの人口流出に歯止めをかけ、街の荒廃化を抑止する「正の効果」を与えているのです。

参考文献:Atlantic CIty and Casino Gaming, 1995, Harrah's Entertainment Inc.

 

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