━Tribal Casino(その1)━

 1988年---インディアンゲーミング規制法が連邦議会を通過。

 アメリカゲーミング史に新たな1ページが刻み込まれた瞬間です。 それまで、ネバダ、ニュージャージー両州で独占的に運営されていたカジノが全米各地に広がる先住民の住む居留地でも開設可能 となり、業界全体に大きな転換期が訪れたのです。

 法案成立からおよそ15年。現在では、アメリカ28州でTribal Casinoが運営され、全体の売上高がラスベガスを抱えるネバダ州を抜いてトップになるまでに急成長。 今回は、目覚しい発展を遂げたTribal Casinoついてお話ししまょう。

 冒頭でも紹介した通り、1988年にインディアンゲーミング規制法が制定され、州政府との協議のもと、居留地でもカジノ運営が認可されたのです。その背景には、カジノという新たな産業を通して、 先住民への自活を援助すると同時に、アメリカ建国以来、土地を奪われ不毛の地に追いやられた先住民への政府側の配慮もあります。 さらに、州法の適応を受けない治外法権地という法整備が容易な環境と居留地内という限定された地域が、法案成立を後押しした形となったのです。

 インディアンゲーミング規制法では、管轄権者によりカジノを3つのカテゴリーに分類し、管理、監督にあたります。 そのカテゴリーは特に『クラス』と呼ばれ、クラス1では、部族が独占的にゲームの管轄を行い、クラス2でも部族がほぼ権限を持ちゲームの統制を行います。クラス3では、連邦、州政府からの許可が必要となり、部族単独での運営を制限しています。 居留地内であっても、開設できるカジノに縛りを設け、部族による行き過ぎた権限抑止の役目も規制法は担っているのです。

 また、各クラスにより、開帳出来るゲームも制限され、クラス1では、古くから部族に伝わる伝統的ゲーム、クラス2で知られるゲームには、 ビンゴやプレイヤー同士が対戦するポーカーが挙げられます。 クラス3では、クラス1,2に属さないブラックジャックやルーレット等、 テーブルゲームやスロットマシンの開帳も許可され、一般的に知られるラスベガス型カジノの開設も可能となります。 その為、上述通り、クラス3では、より厳しい規制を設けカジノ乱立を防ぎ、地元住民との調和を図るのです。

 アメリカ政府に確認されている部族の約半分がゲーミングを開帳し、ラスベガスやアトランティックシティーを脅かすまでに成長したTribal Casino。次回は、Tribal Casinoについてもう少し掘り下げてお話しましょう。

 *Tribal Casino---一般のカジノと区別し、先住民の住む居留地で開設されるカジノを指す名称。

<文責;Masayuki Higashitani>

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