━ラスベガス、ホント物語 第二話━ 映画「バグジー」で描かれるベンジャミン・シーゲルはハリウッドの映画業界に太いコネクションを持ち、絶世の美女をはべらすプレイボーイとして描かれていますが、その人物像の大部分は実はこのウィルカーソンをモデルとしたものなのです。
もともとシーゲルがラスベガスへやって来たのは、マフィア団の大きな資金源であった地下競馬のネットワークを作るためでした。当時、ラスベガスはギャンブルの街としてはすでに有名でありましたが、カジノ以外には何も無い街。シーゲルはラスベガスに移ってきた当初からこの街を毛嫌いしていたそうです。シーゲルは1940年代前半にTrans
Wire社という競馬情報のネットワーク企業をラスベガスに設立。そこで当時、フラミンゴの建設の途であったウィルカーソンと出会います。その後、シーゲルはウィルカーソンに取り入り、フラミンゴの建設計画の一角に潜り込むことになります。
一応、フラミンゴはシーゲルの手によって完成されたという形になっていますが、そのアイデアはウィルカーソンによって練られたもの。また、建設資金も大半がウィルカーソンによって調達されたものだったのです。 残念ながら、シーゲルの元でオープンしたフラミンゴは経営が上手く行きませんでした。その責任を問われたシーゲルはたった9ヶ月でフラミンゴの経営者から引き摺り下ろされ、その後、恋人宅で何者かに暗殺されます。暗殺された原因はマフィア内の勢力争いであるとする説や、当時シーゲルが関わっていた麻薬関連の取引によるものとも言われますが、その真実は知られていません。 フラミンゴはその後、数々のオーナーの手に渡り、現在はラスベガスのカジノグループ「パークプレイス社」の手によりフラミンゴ ラスベガスとして営業されています。フラミンゴ ラスベガス内にはシーゲルの記念碑、またシーゲルのあだ名であった「バグジー」の名を冠したカフェが存在します。これはけっして今のオーナーが本当のフラミンゴ建設の歴史を知らないからという訳ではありません。むしろ映画のヒットによりあまりにも有名になったシーゲルの名に便乗した形でホテルが集客を図ったマーケティング戦略によるものです。 一方、本当のフラミンゴ建設の立役者であったウィルカーソンの記念碑はカジノホテル内のどこを探しても見当たりません…
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