━ラスベガス、ホント物語 第1話━
 
 ラスベガスの父と言えば、映画「バグジー」でおなじみのベンジャミン・シーゲル。1940年代を代表する西海岸一円のマフィアの首領であり、当時まったくの砂漠であったラスベガスに高級リゾートホテル「フラミンゴ」の建設を夢見た実業家。このカジノリゾート「フラミンゴ」にラスベガスのリゾートカジノ建設ラッシュが始まり、現在のラスベガスストリップが形成された…  
  おそらく一般的に知られるラスベガスの物語とはそう言ったモノではないでしょうか?しかし、それはあくまで映画のお話。現実のラスベガスにはまったく違った物語が存在します。今回はそのラスベガスの真実の歴史を「ラスベガス ホント物語」と題してちょっとご紹介してみましょう。  

 「フラミンゴ」以前、ラスベガスには既に高級リゾートカジノが存在しました。それは、1941年にラスベガス最初のリゾートカジノとして登場した「エルランチョ」です。このカジノを建設したのはトマス・ハル。当時カルフォルニア州で「エルランチョ」というホテルグループを展開する実業家でした。  

 ラスベガス、カジノ業界に残る「伝説」によると…  

 ある真夏の日、当時すでにギャンブルの街として有名だったラスベガスのダウンタウンで休暇を過ごしたハルは家路の途にありました。しかし、ダウンタウンからカルフォルニアに向かってちょうど2マイル程走った時、ハルの乗った車が突如の故障にみまわれます。当時、その辺りは見渡す限りの砂漠地帯。しぶしぶ運転手を救援に走らせたハルは、灼熱の砂漠の真中で救援が来るのを待つことになりました。  

 ハルが立っていたその場所は「U.S. 91」と呼ばれるハイウェイ。当時、ネバダ州とカルフォルニア州を繋ぐ基幹道路でした。数時間もその場所で足止めをくらったハルは、道行く沢山の車を眺めながらこう思ったのです。

 「これほど車が行き交うこの場所に、休憩所がまったく無いのは非常に勿体無い…」  

 それは当時、すでにモーテルチェーンの経営者として腕を振るっていたハルの経営者としての直感だったのかもしれません。1941年、ハルは車が故障したその場所(現在のサハラホテルの道向かい)に自分の所有するホテルチェーンの名を冠したカジノホテル「エルランチョ ラスベガス」を建設。「U.S. 91」はその後「Las Vegas Blvd(通称 ストリップ)」と名前を変え、これがラスベガスストリップ初のリゾートカジノとなりました。  

 その後、1942年ラスベガスストリップ2番目のカジノリゾート「ラスト フロンティア(現在のフロンティアホテル)」が建設。映画の中でストリップ最初のホテルとして描かれた「フラミンゴ」は実にストリップ3番目のホテルなのです。  

 フラミンゴの建設は1945年、その建設を主導したのがベンジャミン・シーゲル…ではなく、ビリー・ウィルカーソンという人物。実はここにも映画の裏に隠されたもう一つの「ホント物語」が存在するのです。

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