━カジノの3つの歴史━

 「大人の社交場」、ヨーロッパカジノ  

 ヨーロッパでは中世以来、カジノが王侯貴族の社交の場として認められてきました。その象徴ともいえるのがヨーロッパいちのカジノリゾート、モナコ公国。 世界で2番目に小さな国であるモナコがヨーロッパ社交界で一躍有名となったのが1860年代に当時の国王「シャルルU世」の取り組んだ一大事業、カジノ建設でした。  

 その当時建てられた「オテル・ド・パリ」と「オテル・エルミタージュ」のモナコ2大カジノホテルは、瞬く間にヨーロッパ中の上流階級の注目集め、ヨーロッパ有数のリゾート地として認知されることとなったのです。それから140年経った今も、モナコカジノはあくまで淑女紳士の遊び場というスタンスを守り続け、上流階級のみならず一般観光客が多く訪れるようになった今も入場者の服装規制を維持するなど、洗練された「大人の社交場」として発展し続けています。    

 「娯楽の殿堂」、アメリカカジノ  

 そんなヨーロッパカジノの歴史と対照的に発展したのがアメリカカジノです。こちらの代表格はアメリカいちのカジノリゾート「ラスベガス」。 1946年の「フラミンゴホテル」の建設をきっかけに、アメリカ西海岸、ハリウッドを中心とするショーエンターテイメント界と手を組み、世界中から観光客を集める「娯楽の殿堂」として発展してきました。  

 闇夜で輝くネオンサイン、立ち並ぶ巨大ホテル群、街中で昼夜を問わず繰り広げられる様々なショー。そこはまさに「娯楽の殿堂」。アメリカカジノにはヨーロッパカジノのような「洗練された雰囲気」は少ないものの、老若男女を問わず訪れた者を目一杯楽しませようとする「エンターテイメント」の心が溢れています。    

 

 「カジノの持つ闇」、地下カジノ  

 そして、忘れてはならないのがカジノの持つ暗い側面です。現在、「地下カジノ」と呼ばれる違法カジノが日本でも急速に広がっています。一説には東京都内だけで、新宿に50店、六本木に20店、渋谷に20店など、その数200は下らないとか。警察も懸命に取締りをするものの、潰れては開店を繰り返す違法カジノとの「イタチごっこ」。  

 そこでは一日に数千万、多い時には億単位の金が飛び交い、その売り上げの大部分は闇へと消えてゆく。イカサマや暴力、犯罪の温床となっている例も少なくないと聞きます。 カジノには、上に挙げた「明るい面」と同時に、地下カジノに見られる「闇の部分」がある事を忘れてはいけません。

 

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