━ヨーロッパ カジノ史に学ぶ━

 ヨーロッパのカジノ都市の歴史は古く、1700年代には既にカジノ都市が王侯貴族の社交の場として点在していたと言われます。今回はそんな中世ヨーロッパのカジノ都市の歴史に迫ってみましょう。  

 1700年代初頭、イギリスで大規模なカジノ都市として栄えたのがBathです。Bathは良質なミネラル水の出る水源地として有名であり、当時イギリスのみならずヨーロッパ全域の王侯貴族の避暑地として栄えたカジノ都市でした。Bathは1710年から1740年代まで、約30年に渡って栄えカジノの街として栄華を極めました。しかし、1740年代に起こったイギリス全土のカジノ規制によってその繁栄は終わります。  

 その後、Bathの代わりとして王侯貴族たちの避暑地となったのが、ベルギーのSpaという都市。ここもまた水源地として有名な土地でした。当時のヨーロッパ大都市では上水事情が非常に悪く、良質な水を手に入れることが難しかったため当時のお金持たちは避暑地に水源地を選ぶ事が多かったと聞きます。2つの有名なカジノ都市が「Bath(=お風呂)」「Spa(=温泉)」と名付けられたのは決して偶然ではありません。このSpaにはRedoutとVaux Hallと呼ばれる二つのカジノがあったと歴史的記述が残っています。Spaは1960年代から30年近く繁栄しますが、1780年代、フランス革命の煽りを受けて打ち壊しにあい、その終焉を迎えます。  

 Spaというカジノ都市を失ったヨーロッパ王侯貴族たちはまた新たな社交場を求め別の都市に集まる事になります。それが今度は現在のドイツにあるBad Homburgです。このカジノ都市も1840年代から30年近く栄えますが、最終的には戦争の結果、ギャンブルを禁ずるプロシア帝国の支配化になりその終焉を迎えます。  

 その様な紆余曲折の末、王侯貴族たちの最後の安住の場所となったのが、皆さんご存知のモナコ公国、モンテカルロです。モナコ公国はフランスの南部の海岸沿いにくっ付いた形で存在する小さな国ですが、1880年代の後半にフランスから直通鉄道が完成した事によりヨーロッパの避暑地として人気を博しました。モナコ公国は国内の政情が安定していたことと、国王自身が国の産業振興政策としてカジノ建設を積極的に支援してきた事もあり、1880年代からカジノ都市として栄え、現在もヨーロッパ一のカジノ都市として栄えています。  

 以上の様にヨーロッパでは、様々なカジノ都市が栄え、規制されて終わるという歴史を繰り返してきました。しかし、人々はそれでも必ず新しいカジノを求めて、別の地に集まる…ここに見られる現象は決して当時のヨーロッパのみに当てはまる事情ではありません。現在日本でカジノは法律で禁止されていますが、多くの日本人観光客がアジア諸国、アメリカ、オーストラリアなどのカジノへと流れていっております(どれほどの人数が海外へ流出しているかについては「カジノと経済」の項目を参照)。また国内においても、非合法の地下カジノに手を染めてしまうカジノプレイヤーも多く存在し、その売上が犯罪組織の資金源になるなど大きな社会問題となっています。  
 「カジノは禁じても、決して無くならない」それが、このヨーロッパのカジノ史から学べる教訓ではないでしょうか?

 

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